明るく、楽しく、嫌らしく。 難しい事は易しく。 重い話題は軽くさばきます。 syn3の私的覚書きです。
箸が転んでも日本が悪い!?
2007年11月29日(木) 19:38
□金大中事件、韓国への捜査協力要請を決定・国家公安委  11月29日 日経

 1973年の金大中氏(前韓国大統領)拉致事件で、国家公安委員会と警察庁は29日、日韓刑事共助条約に基づき、韓国政府に対して捜査協力を要請することを決め、手続きに入った。警視庁公安部などが、事件は韓国中央情報部(KCIA、現・国家情報院)による組織的犯行だったとする国情院の調査報告書を分析した結果、関係者の事情聴取や韓国側の捜査資料などが必要と判断した。

 同条約に基づき同事件の捜査協力を要請するのは初めて。警察当局は事件捜査の最終決着を目指すが、同条約には要請を拒否できる規定があり、韓国側が応じるかは不透明だ。

 韓国捜査当局に要請するのは、金大中氏や事件に関与したとされる在日韓国大使館の金東雲1等書記官(当時)らの事情聴取のほか、韓国捜査当局が作成した事件の供述調書、同事件を再調査した国情院「過去事件真相究明委員会」の面談記録、金元1等書記官容疑者とした韓国側の事件記録の提供など。




□金大中氏、拉致事件への日韓対応に不満 10月30日 日経

 来日中の金大中・前韓国大統領は30日、京都市内のホテルで記者会見した。自身が1973年に日本で拉致された事件に関して韓国政府が24日公表した最終調査報告の内容が不十分だと指摘。日韓両政府には「真相究明の義務がある」と、取り組みに不満を表明した。拉致首謀者が金大中氏の友人に「朴正熙(パク・チョンヒ)大統領(当時)の指示を受けたと漏らした」などの情報も紹介し「調査幕引き」をけん制した。

 民主化指導者として日本に滞在していた73年当時、金大中氏は日本政府の保護を期待していたが「(日本は韓国に)主権を侵害され(自分への)保護責任を放棄した」と主張。「助けてくれたのは米国だった。どれほど日本に失望したか」とも語った。

 真相究明の焦点だった「朴大統領による拉致の指示」に関しては、拉致を主導した李厚洛(イ・フラク)中央情報部(KCIA)部長が朴氏死後、金大中氏の友人「チェ氏」を訪ねて大統領指示の存在を明かしたと説明。李部長が1カ月ほど態度を保留していると「(大統領から)さらに強く言われた」という。




☆金大中事件で判らないことが2つある。

その一つは、当時のKCIAが何故金大中を殺さずにわざわざ韓国まで連れ帰った上に、ソウルで解放したのか?

金大中自信が「船に乗るとき、足に重りをつけられた」、「海に投げ込まれそうになった」と後日語っていて、事態は切迫していた。しかし事件を察知した(当時の厚生省高官の通報によるとされる)アメリカの通報を受けた自衛隊が拉致船を追跡し、照明弾を投下するなどして威嚇したため、拉致犯は殺害を断念し釜山まで連行し、ソウルで解放したとされている。金大中自身、日本のマスコミとのインタビューで、甲板に連れ出され、海に投下されることを覚悟したときに、自衛隊機が照明弾を投下したと証言している。

つまり、殺害に関しては既に日本の知るところとなったためにあきらめたという解釈も成り立つ。 スッキリとはしないけど。


2つめは、後に大統領となった金大中が何故この事件を徹底解明しようとしなかったのかと言うことだ。 ご存じの通り大統領制における大統領は絶大な権力をもっている。 にも関わらず、任期中に調査をせず、今頃になってこの事件への不満を言うなどお笑いぐさだと思うのだがどうだろうか?

金大中氏からの不満に関しては、町村氏が「歴任中にこの件に関してなんで何もしなかったのか?」ともっともな発言をしていて、金大中からの一方的な責任追及を批判している。

今回、公安委員会が金大中事件に関して捜査協力を要請すると言うのは大変まともな事だと思う。 拒否すれば韓国側にこの事件を隠蔽しようする意志があることになるからね。

そもそも政治解決無しに、事件を追及したら当時の朴大統領は操作に協力するはずもなく日韓関係にひびが入ったのは間違い。 

自国内の問題を日本に押しつけるのもいい加減にせいよ。 いつもの事だけど。 
日本人の歴史観Part3
2007年11月28日(水) 18:11
前回は、系譜を重んじる欧米に一大変化が訪れた事を言いましたが、それが何かと言うと・・・。

そう、気づいた人は多いと思いますがマルクス・エンゲルスによる共産主義が始まったのです。 共産主義(きょうさんしゅぎ、英Communism)とは、財産の共有を目指す思想で、一般には生産手段の私的所有を社会的所有に変えることを理想とするマルクスとエンゲルスの思想を指します。

しかしその根幹はマルクスが神を否定した事でもわかるように、共産主義の本質は「神」の否定した唯物主観です。 それじゃ何が「神」に取って代わったかと言うダーウィンの進化論でした。  

ダーウィンの進化論は、”生物の進化は、すべての生物は変異を持ち、変異のうちの一部は親から子へ伝えられ、その変異の中には生存と繁殖に有利さをもたらす物があると考えた。そして限られた資源を生物個体同士が争い、存在し続けるための努力を繰り返すことによって起こる自然選択(自然淘汰)によって引き起こされる。”と言う内容です。

つまり、「神」は創造主から引きずり下ろされ、「自然淘汰」が取って代わったわけです。 「自然淘汰」を簡単に言えば、より環境に適応したものがそうでないものを駆逐して取って代わると言うことです。 そう考えると、どこかで見たような気がしませんか?

そうです。易姓革命によく似ています。 共産主義も「暴力革命」による権力の移行を主張していて、易姓革命の「放伐」と同じです。 共産主義が中国に受け入れやすかったのも至極もっともなことで、多くの共産主義国家が崩壊していった中でしぶとく中国共産党が残存しているのは、元々中国が伝統的に革命思想を持っているせいです。 

ま、そんなわけで共産主義の台頭による唯物史観が戦後の20世紀後半に広がって行き、自由主義陣営と共産主義陣営に二分される訳です。


次回は、いよいよ日本人の歴史観に入っていきたいと思います。 難しいけど・・・。
鹿鳴館時代
2007年11月25日(日) 20:06
金曜日に二世君と聖徳太子の当たりの話をしていたら、今日はパナソニック・スペシャルで聖徳太子の特集をやっている。 まあ、どんな番組かは見ないとわからないけどね。

その時に、二世君にした話を簡単に言えば「当時の日本は当時の先進国であると同時に超大国であった中国に対して、日本も同じ事が出来るということを証明する事で対等な付き合いを出来るように努力をした。」  その為の仏教や律令制度の導入であった。 日本人の姓名が中国風に短くなっていったのもこの影響。  

日本人は世界でも歴史好きな国民なそうで、書籍でもテレビでも歴史を取り上げたものが多いそうです。 ただ、前にも言った様に基本になる歴史観をもたないのでどうもぶつ切りの断片としてか歴史の事象がとらえられず、流れの中でとらえることが苦手なように感じる。

そこで、鹿鳴館なんだけど計画を推進したのは当時の外務大臣 井上馨で井上は不平等条約改正交渉のため、日本が文明国であることを外国人に示す必要があると考えた。

しかしながら仮装舞踏会が開催されると勝海舟が憂国の感を深め訴えたり、西欧諸国の外交官もうわべでは連夜の舞踏会を楽しみながら、書面や日記などには「滑稽」などと記して嘲笑されたりと、評判は芳しくなかった。

そのため、井上の鹿鳴館外交への風当たりは厳しいものとなり、さらに条約改正案(外国人判事の任用など)が世間に知られると、大反対が起こり面目を失した井上は外務大臣を辞任した。 そのため、1890年には宮内庁に払い下げられて役目を終わった。 完成からわずか7年だった。

その4年後の1894年(明治27年)陸奥宗光がイギリスとの間に日英通商航海条約を締結し、幕末以来の不平等条約である治外法権の撤廃に成功するのだが・・・。

鹿鳴館だけを見ているとあまり効果は無かったように思えるがその時代に欧米に日本を認めさせようとして努力した一連の出来事であり、滑稽だったとはいえもっと評価されても良いことでは無いかと思うのですが。

聖徳太子の改革も当時の中国からみれば滑稽な部分は多かったと思いますよ。仏教を導入したにも関わらず、日本古来の神に祈りを捧げているのはどう見ても滑稽でしょう。 それに何事でも最初にやるときには奇異や滑稽に見えるものですよ。 ハイ。
冬は加湿でしょ。
2007年11月23日(金) 08:10
先日から、鼻の調子が悪くて鼻水ズルズル状態だったのですが・・・。


どうもホコリっぽいところに居たせいで鼻の粘膜が刺激されたようです。 低温と乾燥が拍車をかけたみたいです。


そこで、加湿器を出してきて加湿したのですが・・・。



なんと、一発で鼻水が止まりました。


やっぱり、乾燥とホコリが原因だったようです。 


他にも意外な効果があって、何かというと体感温度が上がる事なんですよ。

考えてみれば当然で、夏に湿度が高いと蒸し暑く感じるのと同じで、湿度が高くなることで汗腺からの発汗が押さえられる事で蒸発潜熱が押さえられ、結果体から奪われる熱量が低下する。 つまり、暖かく感じる事が出来るということみたいです。


昔ながらにストーブにヤカンをかけるも良し。 加湿器を使うも良しだと思います。 加熱式加湿器を電気代がかかると言う人もいますが、加熱された分は部屋の暖房に貢献しているので、その分他の暖房代が削減されるのでそれほど気にする事は無いと思います。ハイ。


日本人の歴史観 Part2
2007年11月22日(木) 05:48
系譜という観点



□アダムの系譜 創世記 第5章

エロヒムがアダムを創造した日、エロヒムはアダムをエロヒムの姿のように造り、男性と女性に創造した。創造の日にエロヒムは彼らを祝福し、その名をアダムと名づけた。

アダムは130年生きて、アダムの姿形のような子をつくった。アダムはその子の名をセトと名づけた。アダムは、セトをつくった後さらに800年生きて、男の子や女の子をつくった。アダムは930年生きて、そして死んだ。

・・・中略・・・

レメクは182年生きて、男の子をつくった。レメクは「ヤハウェによって呪われた土に働く我々の手の苦痛を、この子は慰めるだろう」と言って、その子をノア、即ち慰めと名づけた。レメクはノアをつくった後さらに595年生きて、男の子や女の子をつくった。レメクは777年生きて、そして死んだ。

ノアは500年生きて、セム、ハム、ヤフェトをつくった。


□キリストの系譜  マタイによる福音書1章1-17節

アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。 アブラハムはイサクをもうけ、・・・ダビデはウリヤの妻によって・・・ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。 こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。



☆聖書によるアダムとイエスの系譜を見ていただいたが、一神教三兄弟における神の使命者はその系譜によっている。 つまり、血統によるものである。   *厳密に言えば新約以後の使命者はキリストの意志を継ぐクリスチャンです。

西洋史における王もおおよそ血縁によるもので、ある王国が滅んだ場合。どこかの王族血縁者を連れてきて新しい王国の王に据えるのが一般的なのは、聖書におけるこの系譜重視の影響だと思いますよ。

反して「易姓革命」では「姓が易(か)わる」わけですからそこでこれまでの系譜は終わりを迎えるわけです。革命とは「天命を革(あらた)める」ことですから、天が徳を失った王朝に見切りをつけてこれを滅ぼし、新たに徳のある王朝を選任するのわけです。

中国の歴史において王族の「一族郎党皆殺し」が当たり前なのはこのためで、情け容赦はありませんよ。 当たり前でしょ。 



ところが系譜を重んじる欧米にも一大変化が訪れたのです。 それは何かというと・・・。 次回へ続きます。

日本人の歴史観
2007年11月21日(水) 14:52
☆最近、日本人は歴史観が乏しくて・・・。 いや、欠如していてそれが欧米や中国との交流に不利になっているとひしひし感じてます。 そこで、自分なりに日本人の歴史観というものを模索してみたくなりました。 


そんなわけで、先ずは欧米と中国の歴史観を探ってみると・・・。

西洋の歴史観と中国の歴史観(あえて東洋とは書かない)を見ると共通点があります。 一言で言えばそれは「勝てば官軍負ければ賊軍。」に象徴されるように「勝った方が善」ということなんですけど。

凄く端的に言ってしまうと西洋の歴史観はユダヤ教・イスラム教・キリスト教の一神教三兄弟による「神を中心とした善悪史観」である。 聖書にあるように、常に神の意志に近い使命者が信仰を全うする限り悪側に勝利するし、神の意志に背けば負ける。

代表的なところでは、インディージョーンズで有名になった「失われたアーク」で有名な聖櫃でしょうか。 アークのあるところイスラエルの民は無敵だったという話ですね。

同じように、中国は「天を中心とした易姓革命史観」です。これは、天は己に成り代わって徳のある王と王族(王朝)にに地上を治めさせるが、王と王族(王朝)が徳を失うと新たな王と王族(王朝)が取って代わる(姓が易(か)わる)ということですね。

これは、「王は政(まつりごと)を顧みず快楽に耽ったので世は乱れ飢饉で多くの人が飢えに苦しみ・・・。」みたいな中国の歴史物の冒頭に良く語られる部分が代表的だと思うけどね。

他にも、聖人君子が誕生したときに「鳳凰が飛んで吉兆が見られた。」みたいな話。 今でも北の将軍様がこの手の奇跡を起こされるようですが、明らかに易姓革命の影響です。この手の話を聞いたら「中国易姓革命思想」だなと思いましょう。(笑い)

*北朝鮮に限らず韓半島全体が未だに易姓革命思想にどっぷりと浸かっています。このことはまた次の機会に。

こう見ると「神」が「天」に変わったでけで欧米と中国の歴史観はあまり違わないように思える。そう言う意味では彼らは仲が良いと言うかお互いを理解し易い関係にある。(日本と比較して。)



ただ大きく異なる所もある、それは何かと言うと・・・。 次回です。
久しぶりに気合い入れてます。(笑い)




ミシュラン
2007年11月20日(火) 18:32
以前、ザガットNYで日本食が人気との記事を掲載したが・・・


寿司店は初めて!都内8店に「3つ星」


 レストランやホテルの格付け本として世界的影響力を持つ「ミシュランガイド」東京版の概要が19日、発表され、寿司店「すきや橋 次郎」(中央区)や日本料理「かんだ」(港区)など計8店が最高評価の「3つ星」に選ばれた。都市別の3つ星の数は“本家”のパリ(10個)に次いで多く、さらに、世界で初めて掲載店150すべてに星が与えられる快挙も達成。日本を対象とした同ガイドは初めて。価格は2310円で22日発売。  「3つ星」店舗は世界中でわずか68。そのうち8店を東京が占めることになった。 

 日本料理の3つ星店は世界初で、発表直後「すきや橋 次郎」主人の小野二郎さん(82)は店先に立ち「まさか日本料理が、寿司店が入るなんて思ってもいなかった。実感がないし、どれぐらいの重みを持つのか、まだ分かりませんねえ」とほほ笑んだ。

 二郎さんは1951年(昭26)寿司職人になり、65年に数寄屋橋に店を構えた。就寝時に「手を傷つけないために」手袋を着けるなど、こだわりも多い。世界の3つ星シェフが海を越えて訪れることも少なくない。

 05年に厚生労働省表彰の「現代の名工」に選ばれ、“人間国宝”とまで称される技術を持つ。そして、新たに世界最高の栄誉を手にしたが「評価を維持することの方が大変。味を落とさないように、さらに勉強です」

 今後は海外から来客の増えることが予想されるが「今までも日本語が話せない外国人だけのお客さんは断ってきた。これからも変わらないし、ガイドにも注意書きを入れてもらう。何せ私が日本語しか知らないものでね」とあくまでも“次郎スタイル”は崩さない。

 今回のガイドでは「すきや橋 次郎」を含め、寿司「鮨 水谷」や日本料理「小十」、フランス料理「ロオジエ」と銀座だけで3つ星が4店も集中。東京の中でも特に“グルメな街”となった。

 今年10月に発行した米ニューヨーク版は、掲載店数こそ東京版の4倍近い565店だが3つ星は3店しかなく、東京に対する高評価は他都市に比べて突出している。また、他都市のガイドは掲載店の一部にだけ星が付けられているが、東京版は掲載された150店すべてに星が付く初のケースとなった。日本料理店が6割以上を占めており、日本独自の食の伝統が評価された格好だ。

 ガイドの総責任者ジャン・リュック・ナレ氏(46)は「1年半の調査で質の高さに驚きの連続だった。特に和食に敬意を表したい。東京は世界で最も星が輝く美食の都市だということが証明できた」と最大限の賛辞を贈った。 [ 2007年11月20日付 紙面記事






ミシュラン東京版がパリ圧倒に驚き


 東京がパリの2倍の星を獲得した―。フランスで最も権威があるレストランのガイド本「ミシュラン」が19日発表した東京版の概要を、フランスや英米のメディアは驚きを持って伝えた。

 「東京は美食の都の地位からパリを引きずり降ろした」(AP通信)、「パリもニューヨークもローマも忘れてしまえ。グルメの本場は東京なのだ」(ロイター通信)。東京のレストランが獲得した星の数がミシュランのひざ元パリを大きく上回ったことに、海外メディアは敏感に反応した。

 ミシュラン東京版は東京の飲食店150店に計191個の星をつけた。一方、フランス公共ラジオによると、パリのレストランが保有する星の総数は97個(パリ郊外を除く)、ニューヨークは54個にとどまる。ミシュランの評価に従えば、パリやニューヨークは美食の層の厚さにおいて東京にかなわないことになる。

 ただパリは、頂点の3つ星レストランの数でかろうじて東京を抑え、体面を保った。フランスの3つ星レストラン26店のうち、10店がパリに集中しているのに対し、東京版の3つ星店は8店だった。 (共同) [ 2007年11月20日 09:46 速報記事





☆食文化は民族独自なものだと思っていたので、美味しいという味覚もそれなりに異なると思っていたけど違ったようである・・・。 いや、欧米と日本では共通していると言うことか。 (インド人に日本のカレーは美味しくないと言われたことがあるので、欧米以外はどうか判らないが??)

まあ、素直に料理の美味しい日本に生まれた事を喜びたいです。ハイ。

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