明るく、楽しく、嫌らしく。 難しい事は易しく。 重い話題は軽くさばきます。 syn3の私的覚書きです。
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関東大震災での出来事
2009年09月01日(火) 20:35
☆今年は関東大震災の86周年だそうで、まあ当時を知っている人で生きている人はもういないはな。

そんな中で例年通り「デマによって朝鮮人が虐殺された。」と朝鮮人犠牲者追悼会が開かれたようですが・・・。


でもね〜。 当時の新聞記事にはこんなのが有るんだよね。




<参照ULR> http://naver.uwakina-honeypie.com/index.php?%CE%F2%BB%CB%BB%F1%CE%C1%BD%B8%2F%B4%D8%C5%EC%C2%E7%BF%CC%BA%D2


治安出動した軍の記録にも爆弾を投げた朝鮮人の記録が幾つもあるし、いちがいに全部がデマとは言えない状況なんだよね。 むしろ、不良朝鮮人がいたのは事実。


朝鮮の人は二言目には自分達を被害者だと言い、自分達に非はないと言うが本当にそうだろうか? 関東大震災前後の事件を振り返ってみると・・・。



<関東大震災前後の事件>

明治42年(1909年) 伊藤博文 安重根によって射殺される。

・震災の14年前。 当時の日本人が朝鮮人の事をどう思っていたか、想像は容易だと思うが。 伊藤博文は併合に反対していた。 安重根は現在韓国の英雄。 北朝鮮では英雄視はされていない。

1910年 - 幸徳事件 明治天皇を爆裂弾で暗殺しようとした計画

1913年(大正2年) 苗栗事件(びょうりつじけん)は、日本領台湾で発生した武装蜂起の既遂・未遂事件の総称。

1914年(大正3年)3月15日秋田仙北地震(あきたせんぼくじしん)

1914年(大正3年) 六甲事件(ろっこうじけん)は、日本領台湾の嘉義庁六甲で発生した武装蜂起。

1915年(大正4年) 西来庵事件(せいらいあんじけん)は、日本領台湾の台南庁噍吧哖(タパニー、現・玉井郷)で発生した武装蜂起。地名から「タパニー事件」とも、首謀者が余清芳であったことから「余清芳事件」ともいう。本島人による最後の抗日武装蜂起であった。

1919年3月1日「三・一暴動」(さんいちぼうどう)、「三・一鮮人暴動」(さんいちせんじんぼうどう)名前の通り朝鮮人による暴動事件。

1920 尼港事件 黒竜江のニコライエフスクでパルチザンにより在留邦人数百人が皆殺しにされた。

1920年(大正9年)4月 李王世子暗殺未遂事件(りおうせいしあんさつみすいじけん)とは、東京府東京市(現・東京都)で企てられた朝鮮人活動家による李王世子暗殺未遂事件。  

1921年(大正10年)11月4日原敬暗殺事件(はらたかしあんさつじけん)は、、当時の首相原敬が、鉄道省山手線大塚駅職員であった中岡艮一によって東京駅乗車口(現在の丸の内南口)で暗殺(刺殺)された事件である。

大輝丸事件(だいきまるじけん)は、1922年(大正11年)におこった、日本の海賊によるロシア人殺害事件である。

1923年9月1日 関東大震災(大正12年)


1923年9月16日 甘粕事件(あまかすじけん)は、関東大震災の直後の、アナキストの大杉栄・伊藤野枝とその甥の計3名が憲兵隊に連行・殺害された事件。主犯は憲兵大尉・甘粕正彦らとされる。大杉事件ともいう。

1923年 - 虎ノ門事件(虎の門事件とも表記される)12月27日に、虎ノ門外において皇太子・摂政宮裕仁親王(のちの昭和天皇)が難波大助に狙撃されたテロ事件である。

1924年(大正13年)1月5日に二重橋爆弾事件(にじゅうばしばくだんじけん)とは、東京府東京市麹町区(現・東京都千代田区)で発生した朝鮮人活動家による爆弾テロ未遂事件。

1925 10月 二林事件(にりんじけん)は日本統治時代の台湾で発生した待遇改善を求める甘薯農家と日本警察が衝突した事件。

1925年 - 朴烈事件(「朴烈、文子事件」とも呼ばれる)かねてから反日運動を主催してきた朴が「朝鮮人暴動」を画策し、爆弾テロを行おうとしているとされた事件

1926年(大正15年)2月14日 観音丸事件(かんのんまるじけん)とは、岡山県で発生した朝鮮人乗組員による上記船賃目当ての強盗殺人事件

1932年 - 桜田門事件(李奉昌事件とも呼ばれる)(昭和7年)1月8日に昭和天皇の暗殺を狙った襲撃事件(大逆事件)朝鮮半島に対する日本の植民地支配からの解放を目指す金九が首班






☆上記の事件を見ても分かる様に、当時は現在の日本と違って、朝鮮・台湾・左翼・右翼の活動家達によって治安が著しく乱される事が有った時代です。 

当時の国民感情を考えれば、反政府活動を行うこれらの人々に関して良い感情を持つわけも無く、治安を任された警察も彼らの活動に神経をとがらせていたのは明白です。

そんな中で、関東大震災は発生したのです。 日頃の品行が悪るい上に不審な行動を取ればどうなるかは明らかでしょう。 当時の朝鮮人の多くは自らまいた種を刈り取ったに過ぎないと言えます。 そうでない人もいた事は想像できますが・・・。


因みに関東大震災より先んじて起きた米国のサンフランシスコ大地震では軍によって200人を超える住民が射殺されました。 まあ、当時の世界の治安状況はその程度のものだったと言うことを認識して下さい。 今と比較するのはおろかで、歴史を語る資格はないです。 ね。 キゴウ君。



終戦記念日に思う。
2008年08月16日(土) 21:15
昨日は終戦記念日でした。今年は北京オリンピックが開催されているせいか戦争に関する放送も盛り上がらなかった様に感じます。

戦後日本は、大東亜戦争(第二次世界大戦)をきちんと評価することができないままに今まで来てしまい、そのことが政治的、とくに外交や教育に関して悪い影響を残しているのが残念です。 そういう理由で非常に簡単に大東亜戦争の評価を行いたいと思います。



1.世界史はいつ始まる。

さて、世界史 world history というものがいつから始まったかと尋ねたら、あなたはどう答えますかね?

多くの人は、「ラスコー洞窟の絵」とかネアンデルタール人とかクロマニヨン人とか言い出すのではないかと思いますが・・・・。  

それは、人類史 the history of man であって世界史じゃありませんって。(まあ、世界史も人類史の一部なんだろうけど。)世界史の教科書がそういうところから始まるので誤解している人が多いです。

では、ギリシャ・ローマ、メソポタミアやインダスや中国などの四大文明の発祥からが世界史の始まりかというとそうでもない。 なぜなら、それらの文明は大きいと言っても所詮はそれらの限定的な地域の歴史であって、それらの文化文明が全世界に影響をあたえた訳ではないからです。


2.20世紀前半迄を一言で言えば。

では、一つの文明が世界的に影響を与えるようになったのはいつからかというと、それはご存じ大航海時代 the Age of Great Voyages からなのです。 つまり、15世紀から始まったヨーロッパ人によるインド・アジア大陸・アメリカ大陸などへの海外進出が世界史の幕開けなのです。

これ以後、一つの国の出来事が世界中に影響を与え、また主としてヨーロッパくにの影響を無視して自国の独立を保つ事ができなくなったわけです。

事実、スペインによって滅ぼされたアステカやインカ帝国を例に挙げるまでもなく、インド・アジア大陸・アメリカ大陸にある国や民族の多くが、あるものは滅ぼされ残ったものは植民地とされていったのです。

そして19世紀末までには世界は欧米の宗主国と彼らに支配された植民地とにほぼ色分けできるようになり、アジアでは日本とタイの僅か二カ国だけが自主独立を保っていたわけです。

中国はアジアの盟主としての力を失い欧米列強により租界地を削り取られていたし、韓半島に至っては自力で独立を保つ事をあきらめて日本に併合を申し込み日本の一部となっていました。(韓国併合ニ関スル条約は、寺内正毅統監と李完用首相が調印して裁可公布して発効したものであり、国際法上なんの問題もありません。)

まあ、そう言うわけで大東亜戦争前の世界を一言で言えば「植民地」時代だったということです。


3.20世紀後半は? では、20世紀前半までの世界史を表す言葉が「植民地」だったとすれば、20世紀後半を表す言葉は何でしょうか? それはやはり「東西対立」でしょう。 1991年にソ連が崩壊して終わりを迎えるまで自由陣営と社会・共産陣営が対立が世界の構図でした。


20世紀前半までの「植民地時代」と20世紀後半の「東西対立時代」の間にあるのが、大東亜戦争です。 つまり、大東亜戦争にはこの二つを繋ぐ意味があるわけです。



4.大東亜戦争とはなんだったのか?

では、その意味とは何でしょうか?


それは、ズバリ「人種平等と植民地解放」です。

4−1 アジアへの侵略戦争と言う誤り。 未だに、いるんですよね。大東亜戦争を「アジアへの侵略戦争」だったと言う人。(笑い) あまりにも、洗脳されてませんかと言いたくなる。



こういう人に尋ねたい。



当時東南アジアに”アジア諸国”と呼べる国がどれだけ有りましたかね?

 西洋諸国の植民地が有ったので、西洋諸国との戦いの間違いでしょう。イギリス・オランダ・フランスなどとの戦いを西洋諸国の戦いと呼ばずして、何というのでしょうか? 

 日本軍が敗戦した後、これらの国々は厚かましくも植民地を取り返しに来ましたが高まっていた独立意識により、自ら銃を取り独立していきました。インドネシアの独立運動ムルデカ他の独立運動に多くの日本兵が協力し命を失ないましたがこの事をどう考えでしょうか? 侵略者がなんで独立の手助けをしたのでしょうか? 

 パラオの国旗はいまだに日の丸の色違いです。ビルマは建国記念日のビルマ軍の行進に日本の「軍艦マーチ」と「日本陸軍の歩兵の歌」を使用してました。(ミャンマーに変わってからは不明。)他にも多々ありますが、キリがないので割愛しますが、これらの国は何で旧日本軍との関わりを持つのでしょうか?

 そもそも植民地に甘んじていた彼らは当時キチガイじみた行為であった植民地からの独立を目指そうと決起したのでしょうか?



4−2 当時人種差別をしていたのは誰か? 

1919年、パリ講和会議。第一次大戦の惨禍を再び繰り返すことのないよう、国際連盟創設のための議論が進められていた。米国の黒人たちが注目していたのは、国際連盟規約に「人種平等の原則」を入れるという提案を掲げて参加したあった。それは日本です。

日本の全権使節団がパリに向かう途中、ニューヨークに立ち寄った時には、「ボストン・ガーディアン」紙の編集長モンロー・トロッターなど、黒人社会の指導者4人が、「世界中のあらゆる人種差別と偏見をなくす」ことに尽力してほしい、と嘆願書を出した。自国のウィルソン大統領が講和会議の議長役をするというのに、それをさしおいて、わざわざ日本の使節団に嘆願したのである。

 全米黒人新聞協会が発表したコメントである。人種差別に苦しむアメリカ黒人社会は、有色人種でありながら世界の大国の仲間入りした日本を、人種平等への旗手と見なしていた。

しかし、日本の提案は16カ国中、11カ国の賛成票を得たが、議長であった米国大統領ウィルソンの「全会一致でない」という詭弁によって退けられた。ウィルソンは、人種平等を盛り込んだ連盟規約が、米国南部や西部の議員たちの反対で、批准されるはずのない事が判っていたからです。

現在このことを知っている人はほとんどいない。



4−3 独立の意志はどこから生まれたか?

 真珠湾攻撃。その時ウー・ソウ(イギリス領ビルマ首相)が目にしたもの、それはおよそアジア人の常識を逸脱しすぎていた。ビルマ独立を訴えてチャーチルにもルーズベルトにも無視されたウー・ソウが失意の内に立ち寄ったハワイで目にしたもの・・・。「白人の力と叡智の象徴」であると思われていた飛行機を操る有色人種! おびえて逃げまどう白人! それは初めて見る予想もしなかった光景だった!!


戦後におけるアジアからの声

 以下は、1973年にタイの首相になったククリット・プラモードの言葉である。  日本のおかげで、アジア諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が、米・英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるか。

それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったがためである。12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して、重大な決心をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。


日本が進駐した地域は、それまで数百年にわたって芙.仏.蘭.米の植民地だった国々だ。それら列強勢力を駆逐した日本の行為を「侵略」と呼ぶなら、東南アジアの民衆にとって白人の支配は何だったのでしょうか? 彼らは白人を歓迎し、その植民地でいるほうが良かったとお思いですか?

僕は日本軍が「白人には勝てないと諦めていたアジアの人々に、白人に打ち勝つ希望を与えた。」と断言します。 



4−4 後の歴史家はどう評価したのか?

高名な文明論者、アーノルド・トインビーは、大東亜戦争について以下のような客観的評価をしている。

 「日本人が歴史に残した功績の意義は、西洋人以外の人種の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間にいわれたような不敗の神ではないこ を明らかにしたことである」(「オブザーバー」紙、一九五六年十月二十八日付)

 東南アジアの民衆は、日本軍のたったの一撃で白人支配がもろくも崩れ去ったのを目の当たりにした。そして日露戦争における日本の勝利以上に大きな刺激を受けたのだ。白人の絶対不敗神話の崩壊は、人々に強い自信をもたらし、植民地解放のきっかけと力になったのである。



やはり有名なイギリスの歴史学者、H・ウェルズは終戦直後、大東亜戦争で日本が果たした世界史的役割について、「大東亜戦争は大植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種の平等をもたらし、世界連邦の基礎を築いた」と述べている。このような世界民族平等の理念は、現在の国際連合(UN)発足の基礎にもなったものだ。



5 まとめ

正直、今日本を始めとするアジアの人々。いや、それ以上に全ての有色人種が白人に”Colord”と蔑まれることもなく、対等に話ができるのは大東亜戦争を戦って犠牲となった多くの先人達のおかげである。

たとえ、中国や韓国。そして白人諸国の一部があの戦争の事を悪く言おうと気にすることは無い。なぜなら、私はあの戦争の意味を知っているし。 そもそも戦争に善悪を付けること自体が無意味であるからです。(どっちもが正義だと思わなきゃ戦争にはならんだろ。大東亜戦争以前にも以後にも善悪を宣言された戦争が無いのはなぜか考えて欲しい。)

飛虎隊Part2
2008年04月06日(日) 19:05
1、昭和史を見直す4つの視点というべージにフライングタイガースの事があったのでUPします。

http://www1.toptower.ne.jp/~katumata/sub485.htm


―文中より抜粋―
”例えば、去る7月8日付の読売新聞夕刊に、昭和16(1941)年春259名の米国民間人パイロットにより結成された対中国義勇団、通称フライングタイガースが、実は米国の正規兵であったことが米国当局によって公式に確認されたとの記事が紹介されていた。このフライングタイガースは、中国国民党(蒋介石率いる現台湾政府)に協力して日本軍機を撃墜した部隊だが、これまで民間義勇軍であり米国陸軍省や米国大統領とは無関係であると米国防総省は主張してきた。ところが、同部隊の生存者たちが、実は米国防総省の承認下に全米各基地から集められた正規のエリート空軍部隊であった史実を認めるよう国防総省に請願し、このほど国防総省もこれを認めたのである。


☆なんと米国自体がフラインタイガースは正規軍だったと認めたと書いて有るじゃありませんか。

そこでもう少し調べてみると英語版Wikiに次の様な記載がありました。
http://en.wikipedia.org/wiki/Flying_Tigers


Recognition of the AVG

Just before their 50th reunion in 1992, the AVG veterans were retroactively recognized as members of the U.S. military services during the seven months the group was in combat against the Japanese. The AVG was then awarded a Presidential Unit Citation for "professionalism, dedication to duty, and extraordinary heroism." In 1996, the U.S. Air Force awarded the pilots the Distinguished Flying Cross and the ground crew were all awarded the Bronze Star.



「1992年の50周年同窓会の前にAGV(フラインタイガース)は日本と戦った7ヶ月間は過去に遡って米国軍として認められた。」と言うことだそうです。




爆笑です。 せこいです米国は。




つまり、1941年12月8日の真珠湾攻撃より後に生じた12月13日の初陣以後は米国分として認め。それ以前は知らんよという事なんですね。

そうすることによって、あくまで真珠湾攻撃は卑怯な不意打ちと言うことにしておきたいそうです。

それまでの、給与も米国からでていることをどう説明する気なんでしょうか?


ほんとずっこいです。
露底飛虎隊
2008年04月06日(日) 13:00
飛虎隊:中戦争時に中国国民党軍を支援したアメリカ合衆国義勇軍(American Volunteer Group,AVG)の愛称。



2008年4月3日、江蘇省南京市で「南京抗日航空記念館」建設委員会成立大会が 開催された。 席上、専門家の史料調査により新たに990人の航空烈士の身元が明らかになった ことが発表された。新華社が伝えた。

同地には1932年に南京航空烈士公墓が建設された。 これは国民党政府が北伐及び上海事変で戦死したパイロットを顕彰する目的のも の。 1995年、この隣に抗日航空烈士記念碑が建設された。 上海事変から1945年9月までに戦死したパイロットを顕彰するもので、30基の記念 碑に3304人の戦没したパイロットの名前と簡単な履歴が刻まれている。

今回新たな調査により中国人パイロット586人、アメリカ人パイロット404人の身元が 明らかとなった。 関係者はなるべく早く彼らの名前も記念碑に刻みたいと語った。

なお、南京抗日航空記念館は今年4月着工予定で、航空機の残骸などの史料を展 示し、南京大虐殺記念館と並ぶ日中戦争を記念した博物館になるという。 (翻訳・編集/KT)

http://www.recordchina.co.jp/group/g17412.html



☆柴犬これには笑ってしまいました。

一つは、これまで散々帝国日本軍と戦ってきたのは我が中共だと言っていたのに、遂に実際に日本と戦っていたのは蒋介石の国民政府だと言うのをばらすのか。

二つ目は、真珠湾以前に日本と米国が交戦状態にあった事が広く知られること。つまり、米国が「サプライズ・アタック」言う事が如何に茶番か判ることですね。






飛虎隊(フライングタイガーズ)は旧日本軍の零戦などの新型機投入により、まったく歯が立たなくなった蒋介石が米国に頼み込み、編成された部隊です。 中立だった米国が正規軍の投入が出来ず、志願兵と言う形を取って募集・編成された部隊ですが、任務完了後には空軍の復帰が確約されており・・・。 





どこが志願兵で、どこが中立だ。





米帝ルーズベルトの偽善ぶりをよーく表した部隊です。


この部隊と死闘を繰り広げたのが有名な加藤隼戦闘隊で、それまで無敗だった加藤隼戦闘隊に初めて黒星を付けたのがフライングタイガーズだと言われています。


しかし、中立国が最新鋭のカーチスP−40(「紅の豚」にも名が出てくるね。)とパイロットを送って支援したら中立とは言わんだろうがね。

真珠湾攻撃の一月前の11月にはフライングタイガーズの部隊は中国に到着しており、部隊の募集や編成による準備期間を考えるとルーズベルトがそれよりずっといぜんより、日本と戦争する気だったことは間違い無いです。 ハイ。
国家の品格
2008年01月07日(月) 23:30
鄭雲燦氏「リーダーの言葉は『国格』 、慎重を期し控えるべき」

鄭雲燦国格盧武鉉ソウル大随時合格者


前ソウル大総長の鄭雲燦(チョン・ウンチャン)氏は7日、「大統領の言いたい放題で韓国が厳しい状況にある」とし、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の話法についての苦言を呈した。

鄭氏は同日午後1時、随時合格者およそ200人が集まったなか、ソウル大教授学習開発センターで開かれた「08年・随時合格者のためのプログラム」で特別講演を行ない、「韓国が抱く課題の一つは国の品格(国格)を向上させること」と語り、こうした認識を示した。

鄭氏は「(現在の韓国社会では)各自が言葉に慎重になるべきだが、そんな雰囲気は見られない」とし「皆さんがリーダーになれば、言葉に慎重になって個人の品格を高めるとともに、国家の品格も高めてほしい」と注文した。大統領の話法に触れた「苦言」は短かったものの、「自分勝手な」などのストレートな表現もあった。

鄭氏は韓国社会の民主主義についても「真の民主主義の姿ではない」と指摘した。また「韓国の民主主義は制度的、表面的には世界最高だが、他人への思いやりに欠けている」とし「私を含めてみんなに『易地思之(相手の立場で物事を考えること)』精神、つまり配慮が不足している」と強調した。

さらに鄭氏は▽持続的な経済成長▽文化分野の質的成長−−などを韓国社会が解決すべき優先課題に選んだ。





☆ノムタンはね〜、話法ではなくて、言ってる内容がアホなんですよ。(爆)

まあ、立場上そう単刀直入には言えないのでしょうが。

韓国でもこの手のまともな人物と言論は出てくるのですが、悲しいかな国家レベルのムーブメントとならない。 既に20年も期待しているけど、未だにそう言うムーブメントは起こらないので、たぶん本質的に無理な気がしてます。(笑い)

まあ、中国が崩壊でもしたら考え直すかな?
日本人の歴史観Part3
2007年11月28日(水) 18:11
前回は、系譜を重んじる欧米に一大変化が訪れた事を言いましたが、それが何かと言うと・・・。

そう、気づいた人は多いと思いますがマルクス・エンゲルスによる共産主義が始まったのです。 共産主義(きょうさんしゅぎ、英Communism)とは、財産の共有を目指す思想で、一般には生産手段の私的所有を社会的所有に変えることを理想とするマルクスとエンゲルスの思想を指します。

しかしその根幹はマルクスが神を否定した事でもわかるように、共産主義の本質は「神」の否定した唯物主観です。 それじゃ何が「神」に取って代わったかと言うダーウィンの進化論でした。  

ダーウィンの進化論は、”生物の進化は、すべての生物は変異を持ち、変異のうちの一部は親から子へ伝えられ、その変異の中には生存と繁殖に有利さをもたらす物があると考えた。そして限られた資源を生物個体同士が争い、存在し続けるための努力を繰り返すことによって起こる自然選択(自然淘汰)によって引き起こされる。”と言う内容です。

つまり、「神」は創造主から引きずり下ろされ、「自然淘汰」が取って代わったわけです。 「自然淘汰」を簡単に言えば、より環境に適応したものがそうでないものを駆逐して取って代わると言うことです。 そう考えると、どこかで見たような気がしませんか?

そうです。易姓革命によく似ています。 共産主義も「暴力革命」による権力の移行を主張していて、易姓革命の「放伐」と同じです。 共産主義が中国に受け入れやすかったのも至極もっともなことで、多くの共産主義国家が崩壊していった中でしぶとく中国共産党が残存しているのは、元々中国が伝統的に革命思想を持っているせいです。 

ま、そんなわけで共産主義の台頭による唯物史観が戦後の20世紀後半に広がって行き、自由主義陣営と共産主義陣営に二分される訳です。


次回は、いよいよ日本人の歴史観に入っていきたいと思います。 難しいけど・・・。
鹿鳴館時代
2007年11月25日(日) 20:06
金曜日に二世君と聖徳太子の当たりの話をしていたら、今日はパナソニック・スペシャルで聖徳太子の特集をやっている。 まあ、どんな番組かは見ないとわからないけどね。

その時に、二世君にした話を簡単に言えば「当時の日本は当時の先進国であると同時に超大国であった中国に対して、日本も同じ事が出来るということを証明する事で対等な付き合いを出来るように努力をした。」  その為の仏教や律令制度の導入であった。 日本人の姓名が中国風に短くなっていったのもこの影響。  

日本人は世界でも歴史好きな国民なそうで、書籍でもテレビでも歴史を取り上げたものが多いそうです。 ただ、前にも言った様に基本になる歴史観をもたないのでどうもぶつ切りの断片としてか歴史の事象がとらえられず、流れの中でとらえることが苦手なように感じる。

そこで、鹿鳴館なんだけど計画を推進したのは当時の外務大臣 井上馨で井上は不平等条約改正交渉のため、日本が文明国であることを外国人に示す必要があると考えた。

しかしながら仮装舞踏会が開催されると勝海舟が憂国の感を深め訴えたり、西欧諸国の外交官もうわべでは連夜の舞踏会を楽しみながら、書面や日記などには「滑稽」などと記して嘲笑されたりと、評判は芳しくなかった。

そのため、井上の鹿鳴館外交への風当たりは厳しいものとなり、さらに条約改正案(外国人判事の任用など)が世間に知られると、大反対が起こり面目を失した井上は外務大臣を辞任した。 そのため、1890年には宮内庁に払い下げられて役目を終わった。 完成からわずか7年だった。

その4年後の1894年(明治27年)陸奥宗光がイギリスとの間に日英通商航海条約を締結し、幕末以来の不平等条約である治外法権の撤廃に成功するのだが・・・。

鹿鳴館だけを見ているとあまり効果は無かったように思えるがその時代に欧米に日本を認めさせようとして努力した一連の出来事であり、滑稽だったとはいえもっと評価されても良いことでは無いかと思うのですが。

聖徳太子の改革も当時の中国からみれば滑稽な部分は多かったと思いますよ。仏教を導入したにも関わらず、日本古来の神に祈りを捧げているのはどう見ても滑稽でしょう。 それに何事でも最初にやるときには奇異や滑稽に見えるものですよ。 ハイ。

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