明るく、楽しく、嫌らしく。 難しい事は易しく。 重い話題は軽くさばきます。 syn3の私的覚書きです。
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あなたは神を信じますか?
2009年12月24日(木) 11:55
神の存在を信じているのは82%、米世論調査

【12月23日 AFP】米国の成人のうち、神はいると信じているのは約80%、 神が地球上のできごとをつかさどっていると信じているのは約30%、 神は女性だと信じているのはわずかに1%――。 こうした世論調査の結果が22日公表された。

世論調査会社ハリス(Harris)が前月2〜11日、成人を対象に オンラインアンケートを実施したもので、2303人から回答を得た。

その結果、神はいると答えたのは全体の82%だったが、 そのうち「絶対にいると思う」と答えたのは59%で、 「多分いると思う」と答えたのは15%だった。

神はいると答えた人の区分を見ると、最も多かったのは キリスト教再生派の87%で、次いでプロテスタント(76%)、 共和党支持者(72%)、南部の住民(69%)の順だった。また、 黒人と女性のそれぞれ約3分の2が「神はいる」と回答した。

神はいると答えた人の割合が最も低かったのは若者と大卒者だった。 大卒・大学院卒では3分の1以上、20代半ばから後半では40%以上が 神の存在を信じていないという結果になった。

東海岸と西海岸に住む人では、それぞれ約3分の1が神はいないと回答した。 

また、神は男性だと答えたのは38%、女性だと答えたのは1%未満だった。 これは、教会の儀式で「God the Father(父なる神)」という言葉が 繰り返し用いられることと関係があるかもしれない。神は男性でも女性でもないと 答えた人は34%、男性であり女性でもあると答えた人は11%だった。

地上のできごとへの神の関与については、「神はただ見守っているだけで 干渉はしない」と答えた人は43%、「実際に支配している」と答えた人は30%だった。


http://www.afpbb.com/article/life-culture/religion/2677723/5078833










☆日本でやったらどれくらいでしょうかね? まあ、米国人の神と日本人の信じる神が同じじゃないでしょうけどね。

そもそも「神」をどう定義するかが問題でしょう。 同じものになるわけ無いし。


以前読んだ本では19世紀まで欧州ではほとんどの人が神を信じていたが、それ以後神を信じる人はどんどん減少していると言う事です。  正直、宗教の自由にしてもガチガチの原理主義者どうしでは諍いになるだけなので、少しは疑いを持ってくれている方が付き合いはうまくいくと思うのですが・・・。


言い出しっぺは
2009年10月28日(水) 13:38
○韓日合邦の魚


「網も張る前に魚が飛び込んできた」−−。


1910年8月、韓日合邦の前夜の秘史についてこのように語ったのは、当時の統監府外事局長、小松緑だった。心痛い証言だ。

それは決して文学的修辞ではなく、惨めな無能の末、合邦を決めた91年前の我々の姿だったことの確認であるからだ。明日、韓国は庚戌(キョンスル)国恥日(韓日合邦)を迎える。

この経路を振り返るに当たって、まずは「合邦の魚」の主役から見てみよう。本音を隠したままの日本側に対し、まず合邦を打診したのは朝鮮側だった。総理大臣の李完用(イ・ワンヨン)の側近である、新小説『血の涙』で知られる李人稙(イ・インジック) が密使として動いたのだ。

これを理由に、李完用は、いつまでたっても韓国の逆賊と言われ続けるのか。

1979年にひ孫の手で墓を廃棄されたことも、当然とされるべき人物なのか。しかし、真実は小学校の教科書のように簡単でない。その中にある「複雑な真実」を明らかにしてくれたのが、尹?漢(ユン・ドクハン)著『李完用評伝』(中心、1999)だ。同書は次のように問いかける。

「我々は、余りにもたやすく売国奴像を作り上げ、批判してきた。反面教師としての李完用研究も、全部で論文が4本出たに過ぎなかった。そのような中で我々は、李完用という人物に隠された自分らの姿から、わざと顔を背けてきた。」

まず、李完用は「生まれつきの親日派」と見なすことはできない。彼は、1882年文科に及第し、士大夫官僚として出発した。

開化期の初のランゲージ・スクールである育英(ユクヨン)公院で英語を学び、駐米代理公使(1888年)として2年間勤務した。また、尹致昊(ユン・チホ)・兪吉濬(ユ・キルジュン)と共に、英語に長けた3、4人のうちの一人だった彼は、当初親米派として知られていた。その後、駐日公使の発令(1894年)に対し、彼は母親の喪を理由に強く辞すこともあった。

「盲目的な親日派」だった宋秉?(ソン・ビョンジュン) とは違い、彼は死ぬまで日本語を話せなかった。彼に関する知られざる話はまだある。初代委員長(1896)として独立協会を主導した2つの顔の人物が彼だ。学界は沈黙しているが、独立門に掲げられた扁額も彼の手によるものだという説が有力だ。

実際、徐載弼(ソ・ジェピル)の「独立新聞」には、李完用への批判が1行たりともない。

我々がこれまで顔を背けてきた李完用の姿は、その他にも多い。だとすれば、乙巳(ウルサ)条約以後、広い視野の外交通から売国の親日派へと大転落した李完用をどのように解釈すればいいのだろう。

あたふたとして正当な判断をせぬまま、うやむやにされてしまった近代史の総体的象徴といえるのではないだろうか。このことを忘れてしまうから、最近の政界でも、あまりにもたやすく親日派のレッテルを貼られることになる。

そうした後、何とも簡単に忘れてしまう。それは醜態以外のなにものでもない。親日派とは、人に対する悪口でなく「我々」を映す恐ろしい鏡なのだ。

さらに「歴史の網」は、その姿を変え、我々の前に幾重にも張られているのではないか。複雑な心境だ。

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=18651








☆朝鮮の新聞はこと日韓の歴史に関した記事では前半で意外とまともな事を書くのだが、後半で何が言いたいのか分からない又は結論をすり替える事が多い様です。

この記事でも、「日韓併合を言い出したのは朝鮮我がだった。」と言いつつも、「売国の親日派」とか日本を悪く書く事に余念が無いです。 まあ、そう書かないと世論から叩かれるというお国がら難でしょうが。

それでも、無理矢理併合されたとか日頃言っている事とは違って史実を曲げていない所は評価できるのですが、この記事は2001年の物です。 既に、かなり前の物なのですが最近でも「無理矢理併合」とか言っているところを見ると相変わらず堂々巡りをしているようです。


ポッポが言う共同史の作成が如何に非現実的な事が分かりそうなもんですが・・・・。


ノーベル症
2009年10月03日(土) 19:40
○「四月は最も残酷な月/死んだ土地からライラックを生み出し/記憶と欲望を混ぜ合わせ/春の 雨で鈍い根を目覚めさる。」米国系英国詩人T.S.エリオットは荒れ地という題名の長文の詩でこの ように書いた。科学を専攻する筆者としては四月ではなく、十月が韓国人にとって最も残忍な月だ と言いたい。

毎年10月になれば間違いなく遠いスウェーデンからノーベル賞受賞者発表の便りが聞こえてくる。 今までひょっとして、今年はもしかして期待してみたがやはり韓国人、いや韓国系受賞者はなかっ た。その一方で今年のノーベル賞受賞者発表を待つ韓国人は筆者だけではないだろう。

ひょっとして故人になられた金大中(キム・デジュン)前大統領が2000年ノーベル平和賞を受賞し て、ノーベル賞に対する韓国人の恨みをはらしたと考えられる方々がおられるかも知れないけれ ど筆者の考えは違う。ノーベル平和賞を貶めようと思うのではなくノーベル平和賞が他の分野(医 学生理学、物理学、化学、経済学、文学)のノーベル賞とは大いに違うためだ。

まず他の分野のノーベル賞はすべてスウェーデンで決めて授けるのに比べて、ノーベル平和賞だ けノルウェーで受賞者を選定して授ける。ノーベルが生きていた時期、ノルウェーはスウェーデン に併合されていた自治国で1905年に独立した。こういう理由でスウェーデン政府はノーベル平和 賞の受賞者選定および授賞をノルウェーが自主的にできるよう許諾した。また韓半島統一という 宿題を解く前に賞をあらかじめ受けたのはすっきりしない。

ノーペル賞はこれまで主に北米とヨーロッパの西欧人が受賞してきている。米国建国200周年の 1976年にはノーベル賞受賞者がすべて米国人なのでスウェーデンが米国に捧げた最高の贈り物 と皮肉も聞いた。ところで10月が残酷なのは、西欧人ではない周辺のアジア国家のノーベル賞受 賞者を通じて克明にあらわれる。試合で負ければ大々的な非難があふれるサッカー韓日戦と違 い、ノーベル賞韓日戦は連戦連敗ではなく、最初から小学生対大人の試合のように相手にならな いことにも社会的な非難がないのが不思議だ。

2005年、筆者は苦しい気持ちで一般人と青少年を対象にした「アジアを輝かせたノーベル賞受賞 者」という本を発行した。筆者の調査によれば日本は今まで平和賞を除いても物理学賞7人、化 学賞5人、医学生理学賞1人、文学賞2人など合計15人の受賞者を輩出した。その中には博士 学位もない島津製作所の平凡な会社員、田中耕一が受賞した化学賞も含まれている。昨年には 化学賞1人、物理学賞3人の合計4人の日本人受賞者が出て日本列島を興奮させた。日本以外 にも中国は物理学賞受賞者5人、文学賞受賞者1人を出し、さらに台湾、インド、パキスタンのよ うな国家もノーベル物理学賞、化学賞受賞者を出したところである。

もちろんノーベル賞が一国家の国力や民族の優秀性を評価する指標になってはいけないというの が筆者の考えだ。だからと言って一国家のノーベル賞受賞者数を過小評価するのも望ましくない と考える。ノーベル賞はオリンピックメダルとは違うためだ。メダル有望株を選抜して集中訓練を通 じて、メダルを得ることができるオリンピックゲームとは異なりノーベル賞を受賞しようとするなら長 期間かけて、文化、すなわち底辺が形成されていなければならない。

特に科学分野のノーベル賞を貰おうとするなら社会が科学に対して関心を持ち、科学者を育てて 励まさなければならない。また科学者は科学だけに集中するべきで、積極的に海外人的ネットワ ークを構築、活用して、業績を認められるよう努力しなければならない。現在のように科学文化が 形成されていなかった状態でお金だけ浴びせるようでは、黃禹錫(ファン・ウソク)事件と同じ恥ず かしい事件が繰り返されるだけでノーベル賞受賞ははるかに遠くなるだろう。






☆「平和賞と経済学賞がノーベル賞の権威を落としている。」とは良く言われることですが、ノーベル賞も過去の人種差別の例外に漏れず、有色人種の受賞を拒んできたことが分かって居ます。

第一回候補だった北崎柴三郎や野口英世。(北里にいたっては、共同研究者であったベーリングが受賞したにも関わらず、抗毒素という研究内容を主導していた北里が受賞できないという逆転現象が起こっていた。これは後年に公開されたノーベル財団の資料から、北里が黄色人種であったことが原因と判明している。

また、山極勝三郎と市川厚一は、ウサギの耳にコールタールを塗布し続け、1915年に世界初の人工癌発生に成功したが、1926年のノーベル賞は癌・寄生虫起源説のヨハネス・フィビゲルに授与された。

世界初のビタミンB1単離に成功した鈴木梅太郎はもノーベル賞を逃している。ビタミンCの発見者やB1で脚気の治療を開発した研究者は受賞している。

文学ではインドのタゴールが受賞したが、当時は有色人種が物理化学部門で優れた業績を残せるわけが無いという偏見があったことに間違いは無いです。


有色人種が自然科学部門で初のノーベル賞を受賞したのは1949年(昭和24年) 湯川秀樹氏です。 これは、1945年の大戦終結から僅か4年後のことです。 誰も言いませんが、太平洋戦争で有色人種である日本人がドイツや米国などに互する戦闘機や艦船を自国で生産し戦った事が、白人に日本人の科学・工学部門における能力を実証したことが大きいと僕は思うのだが・・・。


その手の意見を言う人はいませんね〜。


余談ですが、中国人のノーベル賞受賞者は全て中国人民共和国国籍ではありません。 中国国籍でノーベル賞を取った人がいない事を指摘すると中国人は、「中国の大学を出た人で、ノーベル賞を取った人はいる。」とのたまうそうです。 そう言う訳で、中国時の受賞者の大半は米国籍で亡命者や移民です。 


ま、韓国人はノーベル賞というより「ノーベル症」にかかっている様ですが。
今頃やっと・・・
2009年08月16日(日) 15:14
対日補償要求は終了 韓国政府が公式見解 8月16日7時57分配信 産経新聞

 【ソウル=黒田勝弘】韓国各紙は15日、日本統治時代の韓国人労働者の日本での未払い賃金について、もはや日本に返還要求はできないとの韓国政府の公式見解を伝えた。韓国では元慰安婦や戦没者、徴用労働者など多くの関連団体や個人がいまなお、日本に対し各種の補償を要求している。韓国政府としては、補償問題は1965年の日韓国交正常化の際に日本政府から受け取った「対日請求権資金」ですべて終わっているとの立場を、改めて確認したものだ。

 韓国人が過去がらみで日本政府や日本企業に補償要求などの訴訟をするのは自由だが、日韓双方の政府は「国家間の補償ですべて終わった」との立場で一致している。したがって今後は、補償が必要な場合は韓国政府に要求すべきだということになる。

 韓国では、日本企業が敗戦前の韓国人労働者に対する未払い賃金を日本で供託していたため、韓国政府にその返還を求める訴訟が韓国内で起きている。

 この供託金は3億6000万円で現在の価値では300億〜400億円になるというが、韓国政府(外交通商省)が法廷に提出した文書は「日本政府がすでに支払った請求権資金(無償3億ドル)に含まれているとみるべきで、韓国政府として日本政府に返還を要求することは困難」となっているという。

 過去にかかわる補償問題では、韓国政府がすでに1970年代に旧日本軍人や労働者など民間人補償を個別に支払っており、近年も申請に基づき個別に支給している。元慰安婦についても生活補償が行われている。

 しかし慰安婦関連など日本糾弾に熱心な反日団体をはじめ、あくまで対日要求にこだわる人びとは日本で訴訟を起こすなど、日本の団体などと一緒になって日本政府や企業に対する追及を続けている。

 韓国マスコミもこれまでは何でも日本に要求という姿勢が強かったが、最近は補償問題処理について外交文書の紹介など事実関係をかなり客観的に伝えるようになった。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090816-00000054-san-int












☆1965年に締結されているから44年も経って今頃やっとですか・・・。 随分長い間黙っていたものです。 李明博大統領を少しは評価してあげましょう。 歴代大統領は都合が悪いためにずっと黙ってきたんだから。


韓国のメディアが資料に基づいて客観的に伝える事が出来る日を心待ちにしてますが・・・。 まあ、当分無理だろうね。(笑い)



一枚の写真は千の言葉よりも雄弁である
2009年06月08日(月) 17:27



☆上の写真はイギリス人の写真家フェリックス・ベアト(1834-1903)が撮影した1863年の東京(江戸)の写真。複数の白黒写真をつなぎ合わせて色を付けた彩色写真です。 下は、原画。 (Picture of Edo)






<東亜日報より>

○朝鮮王朝時代の末期、わが国を訪れた欧米人らは、韓国の風景に魅了された。彼らが残した見聞録には、「ソウルは私がこれまで見たところ、最も美しい都市だ」という賛辞がたびたび登場する。駐韓イタリア公使を歴任したカルロ・ロセッティーは、1904年にまとめた本の中で、「韓国の家屋は一様に低めの1階建てであり、2階の庶民自宅は見当たらない」と書いてある。宮殿を除き、こじんまりした1階建ての家屋が、ソウル全域にわたって広く展開されている様子は、異邦人の目には一風変わったように映ったようだ。(抜粋です。)


http://japan.donga.com/srv/service.php3?bicode=100000&biid=2009060687088



当時のソウルについてイギリスの女性旅行家で紀行作家のイザベラ・バードはその著書「著朝鮮紀行58〜59ページ 」でこう述べています。

城内ソウルを描写するのは勘弁していただきたいところである。

北京を見るまでわたしはソウルこそこの世でいちばん不潔な町だと思っていたし、 紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世でいちばんひどいにおいだと考えていたのであるから!

都会であり首都であるにしては、そのお粗末さはじつに形容しがたい。 礼節上二階建ての家は建てられず、 したがって推定二五万人の住民はおもに迷路のような横丁の「地べた」で暮らしている。

路地の多くは荷物を積んだ牛どうしがすれちがえず、 荷牛と人間ならかろうじてすれちがえる程度の幅しかなく、 おまけにその幅は家々から出た固体および液体の汚物を受ける穴かみぞで狭められている。

悪臭ふんぷんのその穴やみぞの横に好んで集まるのが、 土ぼこりにまみれた半裸の子供たち、疥癬持ちでかすみ目の大きな犬で、 犬は汚物の中で転げまわったり、ひなたでまばたきしたりしている。


http://www7.plala.or.jp/juraian/antikor.htm






☆まあ、どの面下げてこんな記事を書くのかホントあきれます。東亜日報と言えば韓国の大手新聞社ですが、それでもこのレベルです。(まあ、日本の朝日・毎日も酷いので言えんが。)


みなさんは写真を見て判断して下さい。 ハイ。






日韓併合前のソウル南大門通り (Pictures of old Seoul South great gate street)



大山祇神社
2009年05月25日(月) 23:30






☆日曜日に「しまなみ海道」を通って大山祇神社に行ってきました。 


『ウィキペディア(Wikipedia)』より 
大山祇神社(おおやまずみじんじゃ)は、瀬戸内海の大三島に位置する神社。所在地は愛媛県今治市大三島町宮浦。大山積神を祭神とし、全国の山祇神社、三島神社の総本社である。国宝8件、国の重要文化財75件(2008年現在)を有し、天然記念物「大山祇神社のクスノキ群」がある。 皇室からも厚く信奉されており、境内には昭和天皇の研究を展示した海事博物館が併設されている。

国宝・重要文化財指定の大鎧41件のうち11件、胴丸54件のうち27件、腹巻39件のうち14件が大山祇神社の所有である。以上を合計すると134件中52件(39パーセント)が大山祇神社の所有である。





ここで、面白い事を発見しました。 大山祇神社の祭神はオオヤマツミ(大山積神、大山津見神、大山祇神)でオオヤマツミはイザナギとイザナミが生んだ神の一人だと言う事です。







神代における天皇家の系図は上記の様になっているのですが、これと最初の写真を見ていて興味深いことに気がつきました。 それは大山祇神社の注連縄がひ左本右末の注連縄であるということです。


以前に注連縄について書きました。 下記のリンクを参照ください。
http://syn3.dtiblog.com/blog-entry-158.html



そして、もう一つは天皇家系図を見て解る様に左本右末の注連縄を行うスサノオノミコトオオクニヌシノミコトオオヤマツミと同じ国津神の系統であると言う事です。


結論だけ言えば天津神の系統である神社は右本左末の注連縄を使用し、国津神の系統は左本右末を使用していると言う事なのですが・・・。


何のことか分からない?



え〜。 そういう人は上記のリンクから注連縄について勉強して下さい。(笑い)



いずれ、日本の神々(天皇家を含む)と神社の関係をまとめたいと思います。


ではまた。





<補足>
1.注連縄の起源  日本神話より

天照大神が天岩戸から引き出された際、二度と天岩戸に入れないよう太玉命が注連縄(「尻久米縄」)で戸を塞いだのが起源とされる。


2.朝鮮中南部にもクムジュル(禁縄)というよく似た風習がある。  *場所は不明だけど3世紀から6世紀中頃にかけて朝鮮半島の中南部にあった日本の領土・伽耶諸国の名残かもしれない。調査中。



日韓併合不法論
2009年05月01日(金) 09:34
☆半島人は二言目には、「日韓併合は不当だった」と言いますが・・・。


このことに関して、2001年に日韓併合についての国際法の学術会議が開催されたらしいのです。 情けない事にほとんど知られていないです。

それも、韓国側の計らいと予算持ち出しで・・・。

危険な匂いがしますね。(笑い)

で、どうなったかと言うと。



http://toron.chu.jp/20cf/heigou/sankei.html






○以下は、東アジア「反日」トライアングル、古田博司著 文春新書より引用。

日韓の間で歴史をめぐってどんな論争があったかということは、意外と一般には知られていない。

たとえば、韓国側は いまでも日韓併合は不法だったといい、 これを学会では「日韓併合合法不法論争」と評している。

そこでこの問題をめぐって岩波の『世界』誌上で 日韓の学者がかつて争ったことがあったが決着がつかず、 2001年の11月16日に、アメリカのハーバード大学のアジアセンター主催で国際学術会議が開かれることになった。

これは韓国政府傘下の 国際交流財団の財政支援のもとに、 韓国の学者たちの主導で準備されたものだった。 韓国側はもちろん、国際舞台で不法論を確定しようと初めから企図し、 そのために国際学術会議を持ったのであり、それを謝罪と補償の要求の根拠にしたかったことは明白であった。

そしてそこにはアメリカ、イギリス、韓国、それから日本の学者が集まり、 日韓併合の歴史をどう考えるかということで論争が行なわれたのである。

この様子は、当時、『産経新聞』の2001年11月27日の 記事ぐらいでしか公表されず、一般の目にはほとんど触れなかった。 が、これはとても大きな、重要な会議だったのである。

韓国側はまず、いかに日本が不法に朝鮮を併合したかということを主張した。 ところが、国際法の専門家でケンブリッジ大学のJ.クロフォード教授が強い合法の主張を行なったのである。

それは当時の『産経新聞』の記事によると、 「自分で生きていけない国について周辺の国が 国際秩序の観点からその国を当時取り込むということは当時よくあったことであって、 日韓併合条約は国際法上は不法なものではなかった」という主張であった。

当然、韓国側はこれに猛反発し、日本に強制されたということを主張したわけだが、 同教授は、「強制されたから不法という議論は第一次大戦(1914〜18年)以降のもので、 当時としては問題になるものではない」と、一喝した。

その会議に参加した友人の学者によると、 この結果、韓国側は悄然と肩を落として去っていったという。

韓国側のもくろみは失敗に終わったのだが、 日本では当時この様子はほとんど報道されることがなかった。








☆正直笑えます。


思えばこれまで、「日本海呼称問題」にしろ、今回の問題にしろ、半島人が主張した対日本的な主張はことごとく日本側の勝利に終わってますからね。 多分、これからも無いでしょうが。 そうだからこそ、「竹島の領有権問題」も国際舞台には持って来られないのだと思いますよ。 結果は見えているしね。

しかし、この会議の事は多くの人に知っていて欲しいですね。


日韓併合から後の事ですが、ヒットラーがチェコ・スロバキアを併合する際にイギリスのチェンバレンとの話合いでそのことが決まり、当のチェコ・スロバキアの意向などほとんど無視されたというのがありました。

第二次世界大戦前でさえ小国の意向など大国間の都合には無視されたという時代であった事を理解した方が良い機がしますね。

「国際常識は時代と共に変わります。」 ハイ。



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